右から石橋供養塔、庚申塔、馬頭観音
写真は「小平 の方丈記:2008年10月」から
新緑の武蔵野散歩で、玉川上水は、欠かせないコースです。
そこに「石橋供養塔」があるのを、ご存知でしたか。
玉川上水には、4基の石橋供養塔があります。
①石橋供養塔 立川市一番町2-19 天王橋(旧橋北詰)
高さ90・幅26・厚さ21cmの角柱
[正面] 玉水分派 ■護公居 ※「しんにゅうに貌」という字
厲掲無苦 渡馬渡驢
[右面] 夫這渡頭者玉川□□万人所来往也 連日雨則洪水蕩□□涌山□□□浪
波渺々漾□□□為不得渡 異僧□□波況於行路凡民哉 故僅架略■以
渡往来 漸積歳月及廃此 有道者直入者愁之久矣 憤志化十方檀那
十余年不避風雨負栲■ 一二同志従後以 □□□ 天明三仲春日石橋終
成 未修供養而逝去同志之輩 尋其志願請山野将修供養三宝 可謂願
主之功於是全矣 銘曰
※ぎょうにんべんに勺という字 ※「きへんに老」という字
[左面] 維時寛政四龍舎壬子仲春如意日
流泉現在 原説山比丘誌焉
願主直入
②石橋供養塔 小平市中島町 小川橋(橋北詰、上水左岸)
高さ149・幅35・厚さ23cmの角柱
[正面] 石橋供養塔
[右面] 武州多摩郡小川村世話人 小川 砂川村中 右ハ江戸みち
[左面] 天保十三寅年六月 左ハ所沢 山口みち
[裏面] 石工 引又町 藤治郎
道標を兼ねたものとなっている。
③石橋造立供養塔 小平市上水本町1600 上鈴木不動尊
高さ90・幅25・厚さ15cmで基壇・笠付の御影石
[正面] 奉巡礼 坂東・西国・秩父 百番供養塔
[右面] 石橋造立供養 寛政三辛亥年十一月吉日
[左面] 願主 多摩郡鈴木新田 粕谷四郎兵衛 嫡子 粕谷武平治立之
移設したもののようである。
④石橋建立供養之碑 三鷹市牟礼1丁目6 牟礼橋(南詰、上水右岸)
高さ90・幅36・厚さ21cmの角柱
[正面] 石橋建立供養之碑 宝暦七丁丑歳十一月大吉日
従先規有来候板橋石橋仕度願ニテ 浄信ト申発心者
従下高井土上者日野立川ニテ 八拾五ケ村江一合一
銭ヲ勧メ候処 右之発心者相果候故不致出来 依之
今般当村中庚申講ヲ取立並出銭仕 且又近村江願助
力 石橋致成就者也
当村高橋三郎兵衛
[右面] 維此辜月 新考石梁 不騫不朽 千載有常 行人坦坦
河水湯湯 太平余沢 地久□旡 宝暦丁丑 景山平忠充題
[左面] 寛政九丁巳歳八月掛替 遠近十方之多力
嘉永二己酉四月再掛替 村中一統之助成
◆参考文献:蓑田たかし『玉川上水 橋と碑と』(クオリ、1993)
※たかし…「人べんに周」と書く字です。
「江戸-東京340年の市民の水道を支える上水路」と紹介。
「小さな橋の博物館」によると、橋の供養塔は、全国にも数少ないとか。
岡山県賀陽町「橋供養碑」 (2基)
中仙道「橋供養塔」 (群馬県、6 基)
「賀陽町史には「大水が出れば一夜にして橋が流れもう渡ることができない、人々は橋に対して霊性をみとめて供養したのであろう。」とあります」。
玉川上水は、一直線の急流でした。
先人の上水を守り続けた思いが、橋供養塔になったのでしょうか。
こうした日本人の知恵は、山形県置賜地方に残る「草木塔」にもみられると、進士五十八・東京農大名誉教授に教えられたこともありました。
2010年4月17日土曜日
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